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2006年5月の2件の記事

2006年5月29日

思案橋

・一つ前のエントリ、試しに箇条書きをやめてみたら
 案の定、めっさ長くなったのでやめ。

・仕事が変わって、5月も終わる。
 淡々と働いてます。

・出勤は毎朝8:50分、終わる時間は18:30ぐらいで
 落ち着いた。

・予想より、生活費収支のバランスは良くならず。
 秋までなにかと我慢の日々が続きそうです。

・はなまるうどんで、うどん定期券なるものを購入して、
 毎日一食はうどん食ってますうどーん。

・夢にまで見た、5勤2休の生活になってそれはそれで
 いいリズムなんだけど、前の仕事の
 定時というものが無く週末ガツガツ働いて休みは
 「休める余裕があるもんなら休んでみな」
 という仕事の間隙をついて休む、そんなやりかたも
 懐かしく思えるもんです。

・自分は、イベント製作の仕事でガツガツやってく
 道を降りた。降りたこと自体は悪くない選択だったけど、
 未だに、業界にチャレンジして負けたようなイメージが
 離れないのでどうしたもんかなぁ、と思います。

・事務所にはほんとに色んな人が訪れてきて、
 にぎやかなもんです。
 
・こないだは、中学校の総合学習でワールドカップについて
 調べているという生徒が来て相手をした。こないだまで、
 シロウトだったのにまぁ
 「ワールドカップとオリンピックの違い」
 「**県の代表選手が多い理由」
 なんかを答えるわけです。

・ついでに大学のときの研究の癖で、発表方法や
 メディアについて聞いてみたり、
 「出典は明記して自分の意見と写して書いたことは
 分けてわかるようにしてね」 とか言うわけです。
  
・夕方、突然おばちゃんが来て「娘がサッカーに関係した
 仕事を希望しているが、どこか何か募集しているのは
 無いか?どういったところを探せばいいのか?」
 と相談されたことがあった。
 じゃあ娘が来いってな話だけど、
 そうやって乗り込んで来れるのも娘の将来を案じる
 思いのなせる業か。

・まぁ適度に答えたわけですが、自分のアクロバットな
 転職の仕方を考えると、何とも言えなくなる。
 結局すべてはめぐり合わせです、だと答えにならないし。

・うん。迷いは無用、淡々と間違えなく仕事。

・となるとブログのネタ分は減少、の方向ですね。
 一年前の群衆と戦ってたネタのような日々は終わり。
 
・今ここでは、なんちゅうか、切ったら血が出るような話がしたいです。
 
(・しばらくしたらまた飽きると思うけど。。)

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2006年5月15日

出世は捨てる、キャリアは捨てない(加筆版)

 車でFMを聴いていたら、CMでそんなセリフが流れて
ちょっとビクッとした。

 世間は五月病の季節だけど、まだ自分の気持ちはフレッシュ
です。協会の裾野の広さに日々驚いてます。協会は社会人・大学高専の「一種」から、小学生の「四種」までのほか、キッズ、女子、シニア、ハンディキャップなど各種別委員会から成ってて、そこで
役を持ち実際の育成強化、試合運営などを行っている方は、ぼぼ全員が本職を持ち、サッカーにかかわる部分はボランティア、ということが多い。中心は学校のサッカー部関係者や、地域の少年団の熱心な指導者(で、本職は自営業)というところでしょうか。
 
 自分のような職員が関わっているのは、現場の果てしない仕事量からするとごく一部なのだろうと思います。協会事務局の主な業務としてあるのが選手の登録業務ですが、その数46,000人強。
 
 ワールドカップも近いわけですが、今代表の座にある選手は、小・中・高とそういう地域の指導者に育てられ、地域の支部の選抜に選ばれ、県のトレセンに呼ばれ、やがて日本協会の担当の目に留まって、ユース代表に・・・という流れで数万分の一という今の地位を得た選手が多いようです。日々、様々な役員・指導者の方が
協会を訪れますが、こういう地域のおじさん達の尽力が世界につながってるんだな、ってことが実感できて感慨深いです。・・・ああ、協会の話をするといつまでたっても本題に入れない。サッカーについてはまた別の機会にします。
 
 本題本題、っていってもたいしたことではない、5月の連休で実家に帰っていたとき、父親をじっくり観察・分析したのです。人生の先輩として興味がわいた。
 
 58で仕事を退職して一年経った父は、あきらかに雰囲気がおジィになっていてこのまま老け込んでしまわないかと思ったけれど、4月から地区の自治会長になってたり、田んぼも畑も今年はある土地全部使って作物作るそうで、忙しくしているようです。
 
 父が2000年にパソコンを買ったとき、プリンタから何から揃えたくせに1年間ほったらかしにして、息子の私がもったいねぇわー!と奪いとって譲り受けて大学で使ってたという経緯があった。で、2005年に買ったパソコン。自治会の書類や、同窓会の名簿、年賀状といったちょうどいい
利用目的があったのでそれなりに活用されているようです。
 
 父にワードやエクセルの操作を教える代わりに、夕食のときに色々質問攻めにした。聞きたかったのは、早期退職した理由でした。まったくもって仕事のことは話したがらない父だったけど、今だから聞ける話がいろいろあるのです。
 
 父は実家の町役場で働いていたのですが、2005年町が周辺自治体と合併して市制に移行する前日に、つまりは3月末に退職したのです。退職の話を聞いたとき、まあ合併が原因で辞めることになったのかなと思っていたのだけど、ちょっと違うようで。

父の話によると、
①本当は56ぐらいでもう退職したかった。その時点でもう
 老後の蓄えは心配ないほどであった。(まじでか)
②だけども周りに引き止められつつ一年が過ぎて、
 そんなときに町の合併が決まった。ほなそのときに、
 ということを決めた。
 父曰く、
 「皆にいい引き際だと思ってもらうには十分やろ」という。
③町長から、それでもあと一年はやってくれと、市民局の
 部長職を準備して説得されたけど固辞した。ならば誰かを
 推薦してくれと言われ、父は課長級の中で一番仕事を
 知っていて行動力もあるという(父曰く「自分とは正反対
 じゃ」という)人を推した。結果、課長級のなかで一番
 若かったその人がそのポストについたという。

こんな感じでした。なんだか後半自慢話じゃないかって気がするけど。
 
 自分が高校生のとき父に「もっと上(出世)は目指さんの?」というちょっと不仕付けな質問をしたときの答えは、
「出世してもろくなこと無いわ、忙しいだけじゃし、まったくむいとらん」 といった感じでした。これを聞いたときの自分は、若さゆえに反感を感じたりしたものでしたが、今はまったくもって合点のいくことです。
 
 加えて昔のことを言ってしまうと、父は出張などで遅くなる日はあっても、基本的に自分ら子どもが登校したあとに出勤し、部活が終わって帰ったころにはもう家に帰ってました。そんなとき中学生の自分は・・・若さゆえに(←多様)こんな地方公務員なんかなるもんかと決意していたのです。あー、わかってなかったなぁ。
 
 私が感心したというかすごいと思ったのは、父は30余年、仕事に振り回されることなく、身体も壊さず、4人の子どもを育て、余裕のある資金を確保した上で、周りに迷惑もかけずにさっさと
早期退職した。でもって今は田んぼと畑と庭いじり、悠々自適の生活を送っているということ。
 
 母が今も現役で働いているので、誰とでもくらべられることではないけど、なんだこの理想的な終わり方は!と思ってしまう。
 
 私が、2年間全国あちこちで働いて、疲れて、悩んで、っていうのがばからしくなるほどです。いや実際両親の世代と比べてしまうと、時間で見ても内容で見てもいかに日ごろの小競り合いがちっぽけなことかと思います。
 
 これまでの自分の社会人生活、でかいこと言った割に所詮コップの中の嵐だった(ちょっと使い方違うか)かと思えてきた。う~ん、どうも言葉にならないけど、
「夢や野望を語る前にまずその実現時点から
逆算してさぁ、今の自分はどうなんよ、これで
ほんまにあんた夢語れますのか」
ということを考えてみなさいってことがわかりました。う~んわけわからん文章。

 春にいろいろ仕事について考えたせいか、ずいぶん発見のあった帰省でした。
 
 あ、それと父の話を聞いてる限り、普段言われている「真面目にやってりゃいいことある」にプラスして
「したたかにやってかないとお前会社に使われて終わるぞ」というメッセージを受け取ったのでした。解釈間違いでなけりゃいいのですがね。 

#書いたはいいがこんな長い文章誰が読むんだ

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