カテゴリー「e.挫折ホイップ」の20件の記事

2009年3月23日

[日誌] 4月から

無職になります。

・ある医療系の財団でシステム管理の仕事をしてきた
 のですが、3月末での退職が決まりました。

・正直、こんな景気の悪い時に!痛手が大きすぎる!
 わけです。

・とても馴染んだ職場で、人間関係は良好、仕事内容も
 評価されていただけに、とてもくやしい。
 
・しかし、しょうがない、しょうがない。
 
・好事魔多し。って壁に貼っとこう。
 
・それにしても、また職探しか。慣れたわ!がんばりますがな!
 ・・・誰か仕事の話あったら教えて!


#追記
 何か不祥事を起こして解雇になったわけじゃないよ!

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2007年12月 7日

[日誌]東京レボリューション

・先週末は大学研究室(堀田研)のOB・OG会で
 東京に行ってました。

・兵庫に戻って以来、上京することもなかったのですが、
 今回のきっかけは自分が、
 「最近のニュースで山田洋行の話題が出るたびに、
 内田洋行のヤマダくんは大丈夫かと気になります。」
 という後輩を案じる(?)メールをOBOGメーリングリストに
 出したことだったので、これは行かざるを得ない。

・まぁ最近飛行機の運賃も安くなってきたことだし、
 神戸空港使って飛行機乗りたいなぁという考えもありました。

・とか何とか言ってるけど、
 結局は寂しいんだよぉみんな東京でさぁ
 先生にももう2年も会ってなかったし。

#以下、特に推敲もなしに思ったことを書くので長いですよ。

続きを読む "[日誌]東京レボリューション"

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2007年7月30日

結局のところただの「遊びます宣言」

・予定になかった就職活動をしたせいか、
 急に焦燥感に襲われとります。

・今年いっぱいは好きにさせてもらうわ、と
 安気にかまえていたのに、ちょっと欲を
 だしたらこれですわ。

・好き勝手に夏を楽しめるかどうかも、
 結局は気持ち次第なんですね。

・焦っても何にもならん。
 ちくしょう遊ぶぞ、遊んだるぞ!
 
(なんの解決にもなってない気がする)

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2007年7月26日

続報

・面接の結果。

・期日の今日まで連絡は来なかった。
残念。

・今の仕事を真面目にやろう。

・ここ一ヶ月ほど、常識試験・専門試験対策に
 面接や何やで、仕事が手につかないほどだった。
 予想以上にパワーを使うもんだな。

・就職活動で何回仕事休むのも限界があるし、
次活動する時はちゃんと専念したいな。

・ご期待に沿えずすみませんでした。
え?むしろ期待通りか?

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2007年6月12日

縦に迫れ!おまえの足元を掘れ!

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 二つ前の記事の「金色のアレ」とは、テナーサックスのこと。

 土曜に友人から受け取って、ついでに飲みに行ってで生活のことをいろいろ話した。高校時代の友人なんだけど、そんなこと言ってしもてええの?ってな大人な話(エロい話ではない)を聞けて大変勉強になった。

 自分の同世代あたりの女性の目はそうとうシビアで、今時、仕事はほどほどで流れに任せて結婚相手を探しさまよう人なんて少数派だということがよくわかる。今の生活が穏やかでええわとか言ってる自分のことを考えると、焦ってソワソワしてしまうわ。

 それにしてもこの友人、高校のときに限らず、お互いのことが手に取るようにわかる瞬間がこれまでに何度かあったわけで、こういう風に互いに全面的な信頼を置けて、理解していて、全肯定してもいいと思える相手って極めてまれなんじゃないかと思う。
 もうこの先結婚相手ぐらいしかいないんじゃないか(い・れ・ばな)。そら理想でしかなくて、甘えの部分はあるけど、だって、もう、俺もええかげんしんどいもん。(甘えてることを否定できてない)

 たまたまだけど、そんな時にまた別のある人から「この会社受けろ」と半強制の求人紹介があってなし崩しで今週エントリーシートを書いている。無気力・無批判・無感動でずっとやってきたツケで、ブログは書いても自分自身のことになると満足に書けない。いつまでピーターパンやねん。もーもーもー。
 くそ、練習じゃ。素振り1000回じゃ。

 あ、そんなこんなで楽器吹けてないんですわ。。

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2007年3月19日

実は挫折してないんじゃないか疑惑

@nifty TimeLineというサービスのβ版が
 始まっているそうです。

・半生の年表だとか、プロジェクトの中長期スケジュールとか、
 子供の成長記録だとかをタイムラインという「それっぽい」
 グラフにできるそうで、自分も使ってみようと思うわけです。

・手始めに、「ひらたい空間」からつながるこのブログの
 作成履歴を作成中ですが、他に何のネタがあるか?

・ ・・・やっぱり「挫折の記録」か。
 
・ここで、日誌には書いてない挫折の蔵出しを2つ。

・大学の吹奏楽団での挫折。
 2年生のとき、全日本吹奏楽コンクールの為にそれまでの
 担当楽器と違う楽器(コントラアルトクラ)を半年かけて
 練習して、県大会、東海大会と(ステージに)乗った。

 けど東海大会の後に4年生が増えて、メンバーから
 溢れてしまった。それだけならまあよくある話だけど、
 メンバー選考がコンクール当日までずれ込んで、
 全国大会その当日、午前中の練習で発表されて、 
 ユーフォの1年生とひらた、2人がクビになった。

 なおかつ、
 そのあとクラリネットの子が1人体調を崩して病院に
 連れて行かれる。ひらたが暫定的にメンバーに戻って
 練習続行、その後会場に向かう。

 リハーサル(チューニング)室まで行って吹いている
 ところで、クラの子が点滴うってきて復活
 
 全国大会のリハーサル室で脱落。
 
・社会人になって2社目での挫折。
 社長がサイドビジネス(ネットワークビジネス)を始めた。
 で、かなり強めにやるように勧められたけど断った。

 お金は出すし活動もしなくていいから加入だけは
 してくれと「これは個人的なお願い!」という
 お願いをされた。
 (あと一人加入させるとクラスが上がるとか何とか
 ってのが目当てらしい)

 このやろう個人的にって今や社員俺だけで社長は
 アンタなんだからぜんぜん個人的じゃねぇだろうが・・・
 やむなく加入した。今でもくやしい。
 (会社辞めると同時にそれも退会しました)

・ざっと悲惨な方の挫折を2つあげたけど
 これで年表を作るとひどすぎるなと思ったので、
 なんかカウンターとして「不屈な記録」も書けばいいかな、
 と考えた時に気がついた。

・そう、よく考えたら自分、どんな目にあっても2ヶ月も経てば
 とりえあえず別の仕事始めて、ケロッとしてるし
 大したことないんじゃないか?

・本当に深刻な挫折ならこんなブログで書いて
 笑けるようなもんじゃねぇんじゃないか?

・これまで、好き勝手に全国各地で自由人の生活を
 楽しんでたただけなんじゃないか?

・ものは考え様。逆から考えてみようじゃないか。

・ということで自分のことを今度から
 「挫折のデパート」ではなく、
 「不屈の人」を名乗ることにしました!

・ ・・・ご意見お待ちしております。

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2007年1月10日

春が来たりてめでたくもなし

R1shizuoka

・2007年最初の日誌です。
 
・推定読者数、十数名のこのブログを読んでいただき
 ありがとうございます。
 本年もよろしくお願い致します。

・細々と続けてきた「グラスホッパー日誌」ですが、
 今後も平田の消息がわかる唯一のメディアとして、
 もっと細々と続けていきたいと思います。 
 
・振り返れば、まだWeblogという言葉も見当たらなかった
 (昔はWeb日記とかWWW日記って言ってたような)
 2001年から日誌を書いているわけです。
 
・静岡大学堀田研にいたころは、もう周りで巻き起こる
 出来事、事件、大騒ぎ、わーわー(研究じゃないのか)を
 そのまま、できるだけ生きのいい状態で文章にすれば
 よいネタになったわけです。

・卒業後も、浜名湖花博や、岐阜の花フェスタ、愛知万博に
 モーターショーと自分がどうこうする前に勝手に状況が
 動きました。大抵はドタバタの方向に。それを書いていました。

・さて、いざ長い冬休み(長いですね)に突入するともう観察する
 対象が無い。身内をイジるか、あるいは自分の内面を切って
 出していくぐらいしか書くことが無いのです。

・自分について書くことは自分と向き合うことです。
 そこで気づかされたのは、
 「自分は何を蓄積してきたか」ということです。

・これまでの仕事なんて、ほとんど大学時代の貯金で
 やったようなものです。じゃあ次を見据えて何か
 (スキルとかキャリアとかなんとか)の貯蓄をしてきたか
 というとあやしい。薄い。

・大学時代の貯蓄は明らかに自分を助けてくれましたし、
 もっというと小中学校の頃の勉強の貯蓄で、大学に
 はいれたわけだし、兄弟の中でダントツに親類縁者ウケが
 よかったが為に、今こうして超快適な居候生活が
 できているわけだし・・・。

・そんなわけで今年は、何か自分の中に貯めていくことを
 心がけたいと思います。師匠に比べるとレベルが違うけど、
 充電です。
 
・ルミナリエの給料がドサッと、ではなくポソッと入ってきます。
 自分のために使います。勉強します。
 髪を切ります。メガネを変えます。
 ある程度好き勝手やらせてもらいます。

・昨年より、若干いい年にしたいです。

・以前、Mカミさんより
 「よってたかって心配されてアンタうらやましいよ」
 と、言われました。

・その点については同意しますが、
 ごめんなさいしばらく好き勝手やると決めてしまいました。
 せめて心配が拡大しないように、
 感謝を忘れないようにします。

・ブログの中身の話が途中でコースを逸れてしまいました。
 ・・・で、何書きましょうか?
 なんかこれについてもっと書けよ、とかあります?
 そもそも挫けてばかりいないで更新しろよってことかな?
 リクエスト受け付けますよ(なげやり)。


#追記
 鼻炎の手術のため、11日より1週間前後の予定で
 入院してきます。これもまぁ自分のための投資か。

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2006年11月 4日

ことばにできない

・状況を整理します。

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・前職の最終日は、午前に引継ぎ(15分で終わった)
 して、正午過ぎに挨拶して、でてった。
 特になんもなし。

・8割すっきりした。2割寂しかった。

・その足でそのまま土日の仕事の打ち合わせに行った。

・結局また、花博のときの人脈を頼って、細かいイベントの
 D(ディレクター)のバイトを静岡を去るまでやることにしていた。

・いきなり、新静岡センター前にブースたててずっと張り付いてる
 仕事だった。これは誰か知り合いに会うな、と思ったら案の定、
 先輩やらなんやら3組の方々に会った。

・「何してるの?」 説明がややこしい。

・そんなこんなで、22日(日)の誕生日は1日、モノを配る
 管理の仕事で過ぎた。

・半年前には予想もしなかった状況で27さいになりました。

・その翌週には金土日と、「ねんりんピック静岡」の仕事で、
 開会式の日にはスタジアム外の野外ステージの
 進行Dをやった。

・岐阜や東京であんだけやっきりした仕事だったのに、
 不思議な高揚感に包まれ働いてた。単純にでかい
 イベントになると楽しくなってしまうだけか。

・ガンダムで言うところの、
 「この風、この肌ざわり、この匂いこそイベントよ!」
 あるいは
 「舞台裏よ!私は帰ってきた!」
 だろう。わかりにくい。

・そのまた翌週(昨日・今日・明日)の3連休、
 今年の春にはあ~もうやんねぇ、絶対やんねぇ、
 と思っていた家電量販店での仕事が、経験者と
 いうことでまわってきた。今や仕事選べねぇ。

・名古屋でばりばりイベントの現場をこなしてときにも
 感じたことだけど、その気になれば誰でもイベントの仕事で
 食いつないでいくことはできる。単純に言ってしまうと年中
 人が足りてない業界だからだ。 
 (2年ぶりに顔を出した自分のような奴にも仕事が来る)

・だが現場の人でいる限りその上が望めない。
 どんだけ現場の運営が回せてもイベントそのものを
 創る人にはなれない。

・その実感があった上での、静岡への移転だった、のですが
 現実はそう旨いことポンポンいけるもんでなしに、
 ジブラルタル海峡(たけし城)で脱落することとなったのです。
 

・うーん、何が書きたいんだ俺。恥ずかしい。
 明日も仕事なのに。
 
・最近、いろいろ書き記そうと思うことが浮かんでは消え、
 浮かんでは消え、しています。その時に書けばね、
 こんな長い日記にもならんのに。

・ま、書かんとわからんし、もうどうするやら~どうなるやら~。

・そんなこんなで、暇なわりに、たまに仕事してハイテンションに
 なったり、部屋で一人だるだるになったり、
 流れる温水プールに連れてってもらってひたすら浮いてたり
 してます。元気です。

・友人に「旅にでも出たら」と言われた。

・言われる前にフライングして京都に行ってた。
 10月の連休、長岡京市の従姉のうちに泊めてもらって、
 岐阜で一緒に働いたSさんに案内してもらって、
 ひたすら庭を眺めるというテーマで京都を巡った。

・金閣寺から、竜安寺、仁和寺、天龍寺と巡り、
 庭園を歩いて、眺めた。

・1年分ぐらい庭成分を吸収した。たぶん。
 悩んでることが、なんだ、くだらないこと、になっていった。
 おかげで前の職場の最後2週間も乗り切った。

・庭だけでなく従姉夫婦の家庭も和める所だった、
 家の空間は広い吹き抜けで、部屋の仕切りがない、
 照明は蛍光灯がない、居間の主役がテレビじゃない、
 で、カルボナーラとエビスビールが美味い。最高。
 
・従姉ご夫婦とSさん、ありがとうございました。

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2006年10月23日

断章

○○様

ひらたです。

現状を報告すると、20日で協会での仕事が終わりました。
その後の仕事は、静岡でイベントのバイトなどはしますが、
特別長期間のものは決まっていません。

で、考えている方向性は、
・静岡を離れ、兵庫(神戸)に戻る
・その上で、ある程度期間を取って就職活動をする
ということでした。

両親と話したところ言われたことは,
「とにかく兵庫に戻ってきなさい」ということに尽きます。
ただ実家には諸事情で戻れないと。
神戸は以前大学の休学時に半年住んでいた所で、
馴染みもあるし、好きな街です。
もし神戸に移り住むならまずは、親戚宅に厄介に
なるという事になります。

なんにせよ静岡を離れるのはもう既定路線です。
安定を求めてあの仕事に就いたのに、より多くの
不安定を抱かえて静岡を離れるとは・・・難しいものです。

ただ身につく仕事も無いのに、無理に労働契約だけを
伸ばして年を重ねるよりは、
20代のうちにやり直すチャンスが貰えてよかったと
思っています。
まだ守りに入るような年じゃなかったということでしょうか。

職場のボスの言うことには、
「ここで息が詰まるような思いをして働くより、まだ若いんだし
もっと力を発揮できる仕事に変わったほうがいいだろう」
ということでした。

働く意欲は十分あるけど、ここ数年の経緯からあまり
自分の判断に自信が持てなくなっている状態です。
それでこうやって、いろんな人に相談をしている次第です。

さて、これからが、まっとうな職に就くためのプロジェクトの
始まりです。別に誰かを楽しませるためにやってるわけ
じゃない。いたって真面目にやってきたし、何も先祖にも
恥じるようなことはしてない。

ただ、周りの人との感覚のズレが大きいというだけだ、
浮いているだけだ。決定的な大事なところで感覚が
ニブイというだけだ。
それで、客観的に見たらネタみたいな生き方になって
しまうんだ。

「そして今 わたしは思っています
 明日からも こうして生きていくだろうと」 

 吉田拓郎


NHKの「つま恋ライブ2006」の番組をみながら
この記事を書いていた。途中でTV(NHK)から
この歌が流れてきた・・・ちくしょー、でき過ぎだ。

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2006年10月13日

転石は苔むしたい

・「年をとるのが好き。/可能性をあきらめられる。
  ばかにされるのが好き。/プライドをあきらめられる。
  あきらめてもあきらめても、しぶとく私が残る。」
 「あきらめてもあきらめても、生きていける。
  自分は、すごい。」         
 
  山崎ナオコーラ

・9月の下旬、職場のボスに呼ばれコーヒー飲みながら
 話をした。11月以降の労働契約を更新しないという
 内容だった。

・予想していなかったわけではないが、いやまさかそれはない、
 という考えだったので正直まいったけれども
 同時に心底ほっとした思いもあった。

・あ~ もう(※後日自主規制)
 と、ほっとした。

・そんな思いが浮かんで、ああもうとっくに心が折れていたのだなと
 気づいた。

・1週間ぐらい、どないしようと悩んだけれども、

・全然いける

・勤労意欲はむしろ高い

・早く俺に仕事をさせろ

・(※後日自主規制)やっていける。

・しかしまぁ10月も第3週まで仕事が続きます。
 
(※ここにあった数行、後日自主規制)

・あー、残り1週間がんばろ。

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